閉じる
メルマガだけのお得な情報満載!大分の食にまつわる旬な情報をいち早くお届けします。たすきのメルマガ。無料会員登録はこちら。

有限会社マルタニ

個別相談依頼は
こちら
株式会社マルタニ

対応力・柔軟性はピカイチ! 安心・安全で“用途に応じた”食品素材を調達有限会社マルタニ [ 大分県大分市 ]

  • カテゴリ
  • その他食品関連事業

有限会社マルタニ代表。農産物プロデューサー。中国産の乾燥椎茸や大分県産の唐辛子、柚子、梅など食品素材の卸を長年一人で手がけている。 中国で椎茸栽培の技術指導を行った縁から、現在も現地と強いパイプを持つのが大きな強み。豊後大野市・由布市で唐辛子の生産支援を行うなど、地域や生産者との結びつきも深く、“用途に応じた”素材の提案・提供が得意。 無類の人好き・世話好きで、周囲の評価は「丸谷に頼めばなんとかなる」。地域のお祭りやイベントの世話役になることも多い。

取締役 丸谷一裕さん

この記事をシェアする

大手食品メーカーの依頼から始まった中国との縁

丸谷さんは長年、一人で食品素材の卸を手がけている“卸のプロ”。業務用卸売問屋、食品加工メーカー、弁当惣菜メーカーなどに向けて、中国産の乾燥椎茸を主に、大分県産の乾燥椎茸や唐辛子、柚子、梅など、さまざまな素材を提供しています。なぜ中国産が主なのか―その原点は1988年まで遡ります。当時、丸谷さんはお祖父様が創業した家業の卸問屋で働いていました。「うちの祖父は、県内のスーパーなどに食品を卸す二次問屋だったんだけど、やり手でね。別府湾の網元も兼任し、水揚げされたちりめんじゃこや、いりこも扱っていた。品質が悪いものも佃煮屋さんに回して無駄にしない。捨てるものがない上手い商売だったと思う。そうやって地道に商売を続けていく中で、日本有数の食品メーカーともつながりができて、あるとき『加工食品に使う大分県産の干し椎茸がほしい』っていう依頼がきたんだ。でも、メーカーの規模ってとんでもないからね。大分県産品だけじゃ、全然足りない。そこで『中国に行って干し椎茸作りを指導してもらえないか』という話になった。それが1988年。もう40年近く前の話だね。」
その後、中国語も話せないまま現地調査に向かった丸谷さん。これが今日まで続く中国との関わりの第一歩でした。

中国で椎茸栽培の基盤づくりに尽力。そして独立へ

当時、中国ではまだ椎茸栽培の技術が確立されておらず、菌床栽培といっても田んぼに丸太(培地)を突っ込むという独自の方法が主流。椎茸には泥や砂がつき、日本で商品化できるレベルではありませんでした。乾燥も天日任せで、形も品質もバラバラだったといいます。「日本流の栽培方法から乾燥の手順、日本のメーカーに合わせた選別、保管、発送まで一から教えたんだけど、日本とは何もかも違うから本当に大変だった。『水をまいて』と言ったら『水道がありません』とかね(笑)。でも、まだ大手が参入する前だったから『初めて日本の椎茸関係者が来てくれた』ってみんな協力的で…。2年くらいで日本でも通用する品質にすることができたんだよ」。

その頃の中国は、国営公司(公司:中国語で会社の意味)から民間企業への移行が徐々に進み、個人による独立開業が盛んになりはじめた時代。国営公司で運転手をしていた人から、突然「独立しました、椎茸あります!」と連絡がくるなど、時代の追い風も受けて乾燥椎茸の輸入事業は順調に進んでいきました。

 指導を通じて現地に深く溶け込み、信頼を築き上げた丸谷さん。いつの間にか、中国の人には「丸谷なら信用できる」、国内の食品メーカーの間には「丸谷は中国のことに詳しい」「丸谷に頼めばなんとかなる」という認識が広がっていきました。「僕はメーカーに育ててもらったと思ってる。中国で本当にいろんなことを学んだし、人とのつながりもできた。2004年に独立したんだけど、そのとき助けてくれたのも中国の人だった。コンテナ1本、2本分の椎茸を『お金は売れたあとでいいよ』って。500万、1000万の信用取引だよ?もう中国に足を向けて寝られないよね()」。照れたように笑う丸谷さん。きっかけはメーカーからの依頼だったかもしれません。しかし、現地の人に真っ直ぐに向き合い、信頼関係を築き、確かな成果を残した―。それは間違いなく、“丸谷さんの人間力”があったからに他なりません。

良き品 世界から、そして世界へ」をモットーに、2004年に「マルタニフーズ」を設立、2006年に「有限会社マルタニ」として法人化。「自分で考え、自分で動く」をモットーに、一人で出来る会社づくりを実践。

大分県産素材を生産からサポート

独立後も、丸谷さんは人脈と経験を活かし、さまざまなことに挑戦。2005年には、大分県商業流通サービス課主催の「県産品上海販売ミッション」に参画し、これまで培ってきた中国のネットワークを駆使して、大分県産品の中国輸出に貢献しました。

「そのミッションを通じて、県産品を扱うメーカーとも面識ができてね。柚子を扱うメーカーから『今、柚子胡椒が流行りはじめているんだけど、原料の唐辛子が手に入らない』って相談されたんだよ。ないなら作ってみようかと話していたら、豊後大野市の生産者が手を挙げてくれて…話がとんとん拍子に進んだ」。

唐辛子は生産者にとって大きなメリットのある作物です。5月頃に植えると、1ヶ月ほどで実がなりはじめ、7月〜10月の4ヶ月間にわたって収穫が可能。短期間で育ち、すぐに収入につながるうえ、作業は比較的軽く、高額な農機具も必要ありません。高齢化が進む農家にとって大きな可能性を秘めたものでした。

豊後大野市の唐辛子畑では、高齢の農家でも無理なく育てられる作物として注目を集めています。

当初、生産者は「見た目の美しい唐辛子を」と意気込んでいましたが、丸谷さんはすぐに軌道修正を提案しました。

「加工品に使うんだから、見た目は関係ない。それよりも量をいっぱいつくってくださいってお願いしたんだ。生産者さんは通常、市場に美しい商品を出すために間引いたり、選別したりするんだけどね、そんなのもったいない。なんでもいい、全部買いますって」。

それまで出荷できなかったものに価値が生まれ、自分の育てた作物が「柚子胡椒」という目にみえる成果物になる―。生産者のやりがい、生産意欲が向上し、豊後大野市では唐辛子栽培がどんどん広がっていきました。

その後、2020年には由布市の「ユフイズム(地域資源を活用した事業を通じて、農村に新たな価値を生み出す活動を行う一般社団法人)」から唐辛子を市の特産品にしたいという話が持ち込まれ、苗の提供や生産支援を開始。現在は、市の農政課が主導となり、丸谷さんが収穫物を買い取るという仕組みが整っています。

他にも、杵築の梅農家と漬物づくりを行う福祉事業所をつないだり、県の依頼でハラール料理に使う柚子胡椒を提供したり…。実績を積み重ねていきました。

固定概念にとらわれず、 用途に応じた良い素材を届けたい

丸谷さんが仕入れの際に大切にしているのは、必ず自分の目で確かめることと、固定観念にとらわれない柔軟さ

「中国産だから心配っていう人もいるけど、僕は自分の目で商品や生産者、生産現場を見て良いものしか仕入れない。品質には自信がある。それにね、国産品、県産品だけにこだわっていたら、いずれ食糧不足に陥ってしまうと思うんだ。僕の信念は、安心・安全な“用途に応じた素材”を提供すること。いろんな使い道があるから、こだわりの国産品も、手頃な中国産も、どっちも必要なんだよ」。

乾燥椎茸は、手頃な中国産の流通増に伴い、国内の消費量が2割ほど増加。単価が下がり、さまざまな加工品に手軽に使えるようになったことで口にする機会が増え、食習慣になり…。結果として日本の椎茸や椎茸を食べる食文化を守ることにつながっているのだといいます。

 

有限会社を設立してから21年目を迎える現在も丸谷さんの行動力は健在。年に1〜2回は奥様と一緒に台北を訪れ、勉強がてら良い素材を探しているといいます。

「僕は基本的に提案型。面白いスイーツを見つけたら、スイーツメーカーに『こんな面白い素材あるからなんかつくってみませんか』って持ちかける。もちろん、日本に持ち込めない素材も多いけど、行ってみないことにはわからんからね」。

もう歳だから…と笑いながらも、「自分で考え、自分で動く」をモットーに忙しい毎日を過ごしている丸谷さん。要望があれば素材探しから請け負ってくれるというから食品関係者にとってこれほど頼れる存在はいません。“丸谷に頼めばなんとかなる”―それは今も、これからも変わることはないのです。

「素材で悩んだら、まず丸谷さんに聞いてみる」そんな信頼が、業界に根づいています。

最後に「これ、いい言葉だろ」と見せてくれたのは、丸谷さんの想いが詰まった一枚の紙。そこには「人は食を通して夢を看る」「食とは、国境も、言葉も、思想も、文化も、関係ない世界を醸し出す」「食とは、次の時代と、将来の、夢の扉の、キーメーカー」と印象的な言葉がずらりと並んでいました。

37年前、何もわからないまま飛び込んだ中国の地。言葉も通じない中での“食”を通じたふれあい。分かち合った苦労と喜び。かけがえのない食の原体験が丸谷さんの“今”を支えています。

「人は食を通して夢を看る」この言葉に丸谷さんの想いが詰まっています。

有限会社マルタニ

PROFILE

設立年月
2004年6月
代表取締役
丸谷一裕
事業内容
食品輸入、食品販売

CONTACT

住所
大分市王子港町1-1
TEL
097-537-5212
FAX
097-537-5212
メール
y-marutani@jcom.zaq.ne.jp

この記事をシェアする