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株式会社ざびえる本舗
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株式会社ざびえる本舗-ザビエルも喜ぶざびえる 株式会社ざびえる本舗-ザビエルも喜ぶざびえる

県民に深く愛され、復活を遂げた大分銘菓株式会社ざびえる本舗 [ 大分県大分市 ]

  • カテゴリ
  • その他食品関連事業

60年以上の歴史を持つ大分銘菓「ざびえる」を製造する菓子メーカー『ざびえる本舗』。製造元の経営破綻により消滅の危機に陥った「ざびえる」を復活させた会社として大分県民に深く愛され、成長を続けています。2023年新工場を立ち上げ、県外への販路開拓や、新商品開発、OEMなど新たなステージへ向け動き出しています。

代表取締役社長 太田清利さん

代表取締役社長 太田清利さん

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県内で圧倒的知名度を誇る大分銘菓「ざびえる」

日本にはじめてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは、戦国大名・大友宗麟の庇護を受け、府内の街(現在の大分市)に南蛮文化の花を咲かせたことでも知られています。
大分市内に本社を置く菓子メーカー『ざびえる本舗』が手がける「南蛮菓ざびえる」はそのザビエルにちなんで名付けられた大分銘菓。洋風の皮で純和風の白餡を包んだ「銀」と、ラム酒に漬けたレーズンを刻みこんだ餡を包んだ「金」の2種類が楽しめます。

手に取った瞬間ワクワクさせてくれる、高級感あふれるビロード風の箱も魅力の一つです。
大分土産の定番中の定番であり、“大分県民であれば知らない人はいない”といっても過言ではありません。

そんな「ざびえる」の発売は今から61年前の昭和36年。バターの香り豊かな洋風の皮、純和風のなめらかな餡―。当時としては珍しい和洋折衷の上品な味わいに加え、真っ黒なビロード風の箱が県民と食品業界に衝撃を与えました。

「うちは実家が菓子販売店でね。中学生の頃、はじめてざびえるを試食させてもらったんです。それまでお菓子といえば草餅や破れ饅頭だったから、驚きましたよ。こんなに美味しいものがあるのかって (笑)。黒い箱も当時のお菓子の常識ではありえないものでした」そう話すのは『ざびえる本舗』の代表取締役・太田清利さん。
一度は生産終了となったざびえるを仲間と共に甦らせた“銘菓復活”の立役者です。

洋風の皮で純和風の白餡を包んだ「銀」と、ラム酒に漬けたレーズンを刻みこんだ餡を包んだ「金」の2種類

洋風の皮で純和風の白餡を包んだ「銀」と、ラム酒に漬けたレーズンを刻みこんだ餡を包んだ「金」の2種類

手に取った瞬間ワクワクさせてくれる、高級感あふれるビロード風の箱

手に取った瞬間ワクワクさせてくれる、高級感あふれるビロード風の箱

生産終了から、多くの人の想いと熱意で復活へ

元々ざびえるを製造していたのは大分の老舗菓子メーカー。太田さんはそこでお菓子部門の課長として長年ざびえるの販売に尽力していました。
しかし、2000年10月、経営破綻。当然、ざびえるの生産も終了し、このまま市場から消えてしまうのでは、と思われたのですが…。そこに待ったをかけたのはたくさん人たちの“想い”でした。

「ざびえる自体は売れていましたし、なんとか残したい、残せないかと思っていたところに社長の娘さんから電話がかかってきたんです。父がつくったお菓子が市場からなくなるのは寂しい。大分を代表する銘菓でもあるし、なんとか跡を継いでもらえないかって」。
さらに、地元メディアがこぞって取り上げたこともあり、大分県全域から「ざびえるを残してほしい」「あの味をなくさないで」という声が続々と届きました。それはもう、驚くほどに。太田さんも「お客様の切実な想いが伝わってきた」と当時を振り返ります。
長い年月を経て、ざびえるは単なる銘菓、土産物から、大分県民にとってなくてはならない“地元・大分の味”へと成長を遂げていたのです。

多くの想いに背中を押され、太田さんは経営破綻から半年後の2001年4月に、元社員ら7名と協力してざびえる本舗を設立。異例の速さでざびえるの生産を再開しました。
「周囲の協力があってこそです。県産業創造機構の担当の方が熱心に指導してくれたり、取引先の社員さんが自分たちの仕事が終わったあとに来て手伝ってくれたり…。感謝しかありません。たくさんのお客様から(復活させてくれて)ありがとうとお礼を言われたことも嬉しかったですね」。

再販すると予想を遥かに上回る好調な売れ行きを示し、1年後にはざびえると並んで人気の銘菓「瑠異沙」も復活。相乗効果で二期目にして売上を4億円にまで伸ばしました。
それが一過性のものでないことは、そこから22年、順調に売り上げを維持していることからも分かります。

元々ざびえるを製造していたのは大分の老舗菓子メーカー。2000年10月、経営破綻。当然、ざびえるの生産も終了

元々ざびえるを製造していたのは大分の老舗菓子メーカー。2000年10月、経営破綻。当然、ざびえるの生産も終了

太田さんは経営破綻から半年後の2001年4月に、元社員ら7名と協力してざびえる本舗を設立

太田さんは経営破綻から半年後の2001年4月に、元社員ら7名と協力してざびえる本舗を設立

ざびえると並んで人気の高い、大分県佐伯市宇目に眠る切支丹少女の面影を偲ぶ銘菓「瑠異沙」

ざびえると並んで人気の高い、大分県佐伯市宇目に眠る切支丹少女の面影を偲ぶ銘菓「瑠異沙」

変わらないことで、普遍的な価値が生まれる

ざびえるは一日あたり4万5千〜5万5千個ほど製造。製造方法は誕生した61年前からほとんど変わっていません。
特徴は全長6mの「ざびえる」専用トンネル釜。ガスでじっくり焼き、最後に電気で色付けすることで乾燥せず、ざびえる独特の表面はサクサク、中はしっとりした口当たりを実現します。

「糖度を少し落として食べやすくしたり、衛生面、効率化の観点から包あん機(餡を包む機械)を全自動のものに変えたり、進化はしています。でも新しい味は考えていません。例えば、バレンタインにチョコ味のざびえるを出せば多分売れるでしょう。でもそれは一過性のもの。私は長年愛されてきたざびえるの味を大切にしたいんです。新たな試みは新しい商品ですればいいと思っています」。

実際、コラボのお声かけや新味の要望は全てお断りしているという太田さん。受け継いだものを変えずに、守り抜くこと。簡単なようで難しいその信念を貫くことが、ざびえるといえば、誰もがすぐに思い浮かべる味―60年以上愛され続ける普遍的な価値を生み出しています。

特徴は全長6mの「ざびえる」専用トンネル釜

特徴は全長6mの「ざびえる」専用トンネル釜

ガスでじっくり焼き、最後に電気で色付けすることで乾燥せず、ざびえる独特の表面はサクサク、中はしっとりした口当たりを実現

ガスでじっくり焼き、最後に電気で色付けすることで乾燥せず、ざびえる独特の表面はサクサク、中はしっとりした口当たりを実現

受け継いだものを変えずに、守り抜く

受け継いだものを変えずに、守り抜く

新工場完成を控え、販路拡大、新商品の開発を目指す

2023年初夏に現在の倍の広さとなる新工場の完成を控えた『ざびえる本舗』は、10年後、20年後を見据え、新たなステージへ向けて動き出しています。
「今後は県外にも販路を広げていく予定です。今も、関東、関西のデパートとお取引がありますが、全国銘菓コーナーのワンフェイスですから数はそう多くありません。実はこれまで営業活動をほとんどしたことがなくて。工場も倍になりますし、積極的に動くことで、チャンスが掴めると考えています」と太田さん。
営業活動なしでここまで成長できたことは、まさに商品力の賜物。そこに“販路拡大”という明確な意思が加わることで可能性は大きく広がっていきそうです。

そして、もう一つ、力を入れたいと話すのが商品開発。これまでも、大分県が生産量全国一位を誇るかぼすや、お茶どころとして有名な杵築市のきつき茶(抹茶)、大分県のオリジナルいちご・ベリーツなど、地元の産品を使った商品を開発しています。

「私たちはメーカーですから、個人的にはつくってなんぼという想いが強い。早急に新しい人材を確保して、体制を整えたいですね」とさらなる意欲を見せます。
また、OEMへの興味も示すなど、未来へ向けての話は尽きることがありません。
最後に「私の人生はざびえると共に歩んできたようなもの」と穏やかな笑顔で語った太田さん。受け継いだものを大切に、新たな可能性を切り拓く−。誰よりもざびえるを愛する社長の元、ざびえる本舗は今、大きく飛躍しようとしています。

大分県産のかぼすを使った「豊のたちばな」、和洋折衷のゴーフレット「月さらさ」、きつき茶や県産いちごベリーツを使った「BUNGO乃 菓和里」なども製造

大分県産のかぼすを使った「豊のたちばな」、和洋折衷のゴーフレット「月さらさ」、きつき茶や県産いちごベリーツを使った「BUNGO乃 菓和里」なども製造

誰よりもざびえるを愛する社長の元、ざびえる本舗は今、大きく飛躍しようとしています

誰よりもざびえるを愛する社長の元、ざびえる本舗は今、大きく飛躍しようとしています

株式会社ざびえる本舗

株式会社ざびえる本舗

PROFILE

設立年月
2001年1月
代表取締役
太田 清利
事業内容
菓子製造・販売

CONTACT

住所
大分県大分市大分流通業務団地1丁目3-11
TEL
097-524-2167
FAX
097-524-2168
メール
info@zabieru.com
HP
https://www.zabieru.com/

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