大分県産海苔の復活に夢をかける株式会社 桃太郎海苔 [ 大分県大分市 ]
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創業75年を迎える老舗海苔メーカー。『桃太郎海苔』という社名は、後に2代目社長となる姫野清高さんの出産祝いとして贈られた「日本一の桃太郎人形」のインスピレーションを受け、創業者である初代社長が名付けました。地元で愛され続けている海苔を象徴するような、愛らしい桃太郎のイラストがトレードマークです。
代表取締役社長 姫野靖之さん
大在は、良質な海苔の産地だった
『桃太郎海苔』が本社を構える大分市大在地区はかつて、日本でも有数の海苔の漁場でした。「この辺の遠浅の海は海苔の漁場に非常に適していて、すごくいい海苔が採れていたらしいんですよ。九州内でも古い歴史を持つ漁場だったんです」と話すのは、3代目の姫野靖之社長。しかし遠浅の海は埋めたてられ、現在では一帯が工業地帯に。以前は全国生産量の6割を占めていましたが、今では海苔養殖に携わる漁師さんはいなくなりました。
「海苔屋からすると、『地元の海苔、大分産の海苔を売っている』ということが1番の強みでした。しかし今、大分産の海苔はほぼありません」。
『桃太郎海苔』がある大分市大在は、九州内でも古い歴史を持つ海苔の漁場だった
残念ながら大分では海苔の生産が少なくなり、現在は有明海を中心に海苔の仕入れを行っている
生産から、販売へ
『桃太郎海苔』の前身である『姫野海苔店』が創業したのは昭和23年。姫野家も元々は海苔の生産者でした。海苔を摘み、板海苔の形にまで一次加工するのは生産者の仕事。それは今でも変わりません。そんな生産者の家で育った社長のお爺さんにあたる初代、陸喜さんが戦後、満州から引き上げてきた後に創業したのが『姫野海苔店』。海苔を摘んで板海苔に一時加工するだけでなく、自らが販売も手がけるようになります。自転車で販売することからスタートし、後にバイクでリヤカーを引くようになり、船で四国に渡って手売りで海苔を販売していたそう。「本当に一歩一歩。少しずつ売上を上げて、会社にしていったという感じですよね」。
『桃太郎海苔』という社名は、「日本一の桃太郎人形」にインスピレーションを受けた創業者の姫野陸喜さんが名付けた
大分県内では、海苔だけでなく愛らしい桃太郎のイラストも親しまれている
海苔メーカーとして生き残るために
しかし姫野社長が家業に戻ってきた頃には、需要も下降傾向。「海苔を卸していた地元のスーパーがなくなったり、県内のギフトも減っていて、売上が下がっている真っ最中でした」。先代社長である父親の清高さんには、「新たな仕事を作らないと会社にいる意味がない」とまで言われたとか。「かなりスパルタな環境に置かれていました」と、当時を振り返ります。
海苔の生産者も全国的に減少。原料高も続いていました。さらに東北の大震災も。「私が家業に戻ってきたときは、とにかく課題山積で、大変な状況でした」。現状を打開するために目を向けたのが、県外。東京の市場開拓に動き始めます。社内もまだまだ若き跡継ぎに戸惑いがある中で奮起。足繁く通った結果、“根性で” 大手百貨店との直接取引も開始でき現在も、東京での売上を徐々に伸ばしています。
「苦労話は語り出したらきりがない(笑)。でも今考えると、順風満帆じゃなかったからこそあれだけ意地になってやれたのかな、という気もするんです」
『桃麹』ってなに?
苦境の家業を立て直すために立てた柱のうち、1つが東京での取引を広げること。そしてもう1つが、麹菌発酵混合飼料でした。
会社の顧問であり社長の叔父である林國興さんは、麹菌や畜産の分野で有名な農学博士。そんな林さんが取り組んでいたのが「黒麹菌が生き物にもたらす作用」についての研究でした。
林さんの元々の研究分野は畜産。アミノ酸やうまみが成分などの肉の研究をすすめていたため、黒麹菌と合わせて研究してみると、「豚や鳥などの餌に使うと、効果を発揮する」ということが分かりました。現在は『桃麹』という水産・畜産用の飼料として商品化しています。海苔とは全く別の分野へも積極的に取り組んだ結果、「苦しい時期にこの餌で利益を出せたことが大きかった」と振り返ります。
海苔の味に厳しい地域に育てられた
海苔は、板海苔になった状態のものを生産地から仕入れるため「独自のカラーを出すのが難しいんですよ」と社長。しかし『桃太郎海苔』では、創業者の陸喜さんが味付け海苔のタレも独自で考案し、自社製造を続けています。「24時間炊き込んだ、独自生産のタレで味をつけています」。
また会社のある大在は、かつて海苔の一大生産地だった地域。高齢の方には海苔の味に厳しい方が多いと言います。「この地域には、海苔生産者の家庭で育ったおじいちゃんおばあちゃんがものすごく多いんです。だから、「今年(の海苔)はどげえな」と、会社に直接買いに来る方もいらっしゃいます。「これは何等な」なんて、等級の話とかまでするぐらい詳しくて厳しい。『桃太郎海苔』は、そんな海苔にうるさい地域に育てられてきました」。
オリジナルの味付け海苔には、大分の特色を出した「かぼす海苔」も
本社1階の一角には販売コーナーがあり、ここで直接買い求める地元の方も多い
地元の海苔メーカーを絶やしたくない
「祖父や父がやってきたことには、やっぱりストーリーがあったんだな、って感じるようになりました。我々がすべきことは、『大分産の海苔を絶やさないこと』。これは、『桃太郎海苔』の宿命だと思っています」。そう語る姫野社長が取り組んでいるのは、大分産の海苔の復活。そこには、様々な壁が立ち塞がることは分かっています。それでも「大分を代表する海苔メーカーとして、大分産の海苔を復活させる。大分県産海苔を、諦めたくないんです」。大分県産海苔の復活という、厳しく大きな目標に立ち向かう、覚悟を決めています。
「大分産の海苔を絶やさないことは宿命」と、大分県産海苔の復活にも意欲的に取り組んでいる
良質な海苔の産地で誕生した海苔問屋だからこそ、「大分県産海苔を諦めたくない」
海苔を育む海を守る
合わせて、今後力を入れていきたいと考えているのは環境問題。参加しているNPO法人「海の森づくりプロジェクト」では、わずか5年でまったく姿を変えてしまう海の姿を目の当たりにしたと言います。「海洋投棄が原因で海藻がダメになって、魚が住みつかなくなる。プランクトンがいなくなってしまうと、今度は海苔も悪くなってしまうんですよね。海って循環していますから、環境が変わると生態系が変わってしまうんです。そんな切実な状況を目にして、『これからは海苔屋も海を守らないと』と思いました」。
ただし、海苔に湿気は大敵。プラスチック製の包材で密閉して販売することは今や当たり前です。これを手放すことはできませんが、「原料を土に返るものに変えていきたい」と社長。
さらに海外への展開も考え、ハラールについての知識も蓄積中。社長自身もハラール管理者の講習を受けています。
海の環境を守りながら、大分産の海苔を復活させ、海外へ。大きな使命を背負い、大きな海へ漕ぎ出しました。
環境問題にも積極的に取り組み、今後は包材も「土に返るものに変えていきたい」と姫野社長
大分県産海苔の『桃太郎海苔』が、世界で愛される日を夢みて
株式会社 桃太郎海苔
PROFILE
- 設立年月
- 1948年
- 代表取締役
- 姫野 靖之
- 事業内容
- 焼海苔・味付海苔・乾海苔の加工・販売(贈答、一般、業務用)
CONTACT
- 住所
- 大分県大分市大字角子原900番地
- TEL
- 097-522-1234
- FAX
- 097-522-1235
- メール
- info@momotaro-nori.jp
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- https://www.momotaro-nori.jp/